■レポート
重いものは,どこまで動かすことができるか
佐藤重範(仮説実験授業研究会・岡山)
2000/04/01
みなさんは,鉄道貨車を人間が手で押して動かすことができると思いますか。鉄道貨車は,昔のものは荷物を載せないままでも,3トン(=3000kg),今のものだと20トン(=2,0000kg)ぐらいの重さがあります。なんか機械がないと,動かせそうにない気がしますが,もしかしたら,人間の力でも押せるかもしれません。人間はどこまで重いものを動かすことができるのでしょうか。
そんな実験をビデオに撮れたらなぁと思い,今回,神奈川県・川崎市にある昭和電工という会社の協力で実現できました。そのレポートをお伝えします。
◎社会と貨車
1999年8月広島県鞆之浦で開かれた仮説実験授業授業書セミナーのナイターで,板倉聖宣先生とプラン〈社会と人間を動かす力学〉についての話をしていたときのことです。そのとき,板倉先生が,
「社会のようにとっても重いものは,力を加えても動くように見えないけれど,動くこともあるんです。物理学では軽いものを教えるけれど,社会のように見た目には動きそうにないけれど,動くものを映像として撮れればいいね。例えば,新幹線の動き始めを1分ぐらいのスローにするとか,貨車を動かすときかね。貨車は,操車場で行先を振り分けるのに,人間が押していたんだよ。今は,どうしているかわからないけれど,最初はゆっくり動きだして最後には,人間が追いつかないほど早くなって,貨車に飛び乗って,ブレーキを押すんだよ」
という話をされ,「おもしろそうだなぁ。ビデオに撮ってみたいなぁ」と思いました。
◎研究仲間は大切<研究は社会的なもの>
11月に文化祭がありました。4年前の卒業生の松田くんが尋ねてきてれました。彼は,鉄道・バスが大好きで,ホームページに趣味で撮った写真を載せています。そのとき,ボクの頭にひらめいたものがありました。「路面電車の重さって,何トンぐらい?」と。どうも15〜20トンぐらいのようです。もしそうならば,まさつ係数を1/100として150kg力ぐらいで人間でも何人かでやれば押せそうな気がしました。
すぐさま,岡山仮説サークルの鉄道マニアの小河達之さんに電子メールを書きました。すると,「いくつか心当たりがあるから,聞いてみます」とのことでした。
そして,しばらくして返事があり,「撮影ができるような昔の貨車自体が,今はほとんどないし,路面電車はちょっと難しいようです。でも,国鉄のビデオの中にはそういった映像が残っているかもしれないので探してみます」ということでした。そのビデオも12月には見つかりましたが,それを見れば見るほど,自分で実験してみたくなる気持ちが膨らんできました。
◎ある日,突然に
その後,しばらくいろいろなところに当たってもらったのですが,実験の許可がおりません。昔の貨車のようなものも現在ないようです。ところがある日のことです。メールで,連絡が入りました。
「しかし・・・耳より情報です。首都圏で今でも手押しで入れ替え作業を行っているところがありました。『鉄道ファン』の4月号110-111ぺを見ると,写真入りで作業風景が載っているではありませんか・・・毎日ではありませんが,週に
2日ほど2両のタンク車が作業員による入れ替えを行っているようです。場所は昭和電工大川工場引き込み線です。ダイヤは・・・貨物時刻表を見ればわかるのですが,実は次号が3月改正以降に発行予定でして手元にありません
>が・・・」
引用元は 伊藤 博志「JR貨物 鶴見支線の貨物列車」
(『鉄道ファン』2000年4月号(第40巻第4号通巻468号),交友社,110-111ぺ,2000-4-1発行)
写真の解説は以下の通り
積荷を下ろし,身軽になったタンク車2両を係員がこん身の力を込めて押し出す,大川支線では日常的な風景なのだが,首都圏でこのような作業が行われているとは驚きである。 大川にて 1999-3-29
といううれしい情報がありました。うまく行けば,川崎のフェスティバルに行くときに実験を頼めるかもしれません。その日のうちに,小河さんから雑誌をデジタルカメラで撮ったファイルを電子メールでもらい,翌日にはそのカラーコピーをもらいました。それを見ると,人間が3人で押しています。「日程が合わなくてもいい,川崎に行こう!アヤシイ撮影隊パート3 出動だ(「アヤシイ撮影隊」というのは,このプランのためのビデオを撮影するための岡山サークルのメンバーたちの別称です。50mの落下実験などがパート1,2でした)」とやる気が一気に出てきました。小河さんも「いっしょに行きましょう」といってくれて,いよいよ計画が現実化してきました。 昭和電工様
神奈川県は遠いけど,こういう体験はお金には代えられません。二人の電子メールのやりとりでもそんな話をしました。
小河「確かに・・・でもお金で代えられない経験もしてることも確かですし・・・」
佐藤「本当にそうですね。貯金ぐずしても行きたい気分です。早速見ましたが,これは「ぜひ,行きたくなりました」。とってもいいです。あんな大きなものが,2人で動くなんて,ぜったい自分の目で見たいです」
最近は,民間の会社のホームページが充実しています。電話だとたらい回しにされて,何度も説明をしなければいけないし,電話する時間帯がかぎられるので,直接ホームページから次のようなお願いのメールを送りました。さて,どうなるでしょうか。
私は高校で理科の教員をしているものです。『鉄道ファン』4月号 vol.40 468(交友社)の111ページに大川支線の昭和電工川崎工場への輸送の復路の機回し作業で「空車の手押しによる入れ換え作業」の写真が載っていました。
物理の授業でこの様子をビデオ・写真に撮りたいのですが,大川駅のホームから,できれば近くでの撮影を許可してもらいたくて,メールを差し上げた次第です。
大変ご無理な相談かもしれませんが,生徒たちの教育のために特別なはからいをお願いできましたらと願っています。
もし,許可していただけるならば,臨時列車扱いということなので,その撮影できる日時を教えていただければと思います。(3月28,29日と川崎に行きますので,できればその両日,ダメならば後日にと考えています)
目的:重いものの運動・運動方程式の授業にしようのため
撮影方法:止まっているところから,手で押して動くところを真横からビデオとカメラで撮りたいと思います。人数:多くて5人(教育関係者)
どちらにお願いしたらよいかわかりませんで,こちらにメールを送らせて頂き申し訳ありません。ご返事を頂ければ幸いかと思います。
佐藤重範
JR貨物に問い合わせたときには,一度は返事がきましたが,それ以後返事はありませんでした。小河さんと相談したところ,「荷主の昭和電工に直接聞いてみたら」と言われて,3月13日に昭和電工に上記のような電子メールを送りました。1週間前にデジタルビデオを買って待っているのに…。
◎撮影O.K.! 佐藤教諭殿
3月15日,突然学校に電話がかかってきました。「昭和電工,川崎工場総務課の新木と申しますが,本社から依頼を受けまして,検討した結果,プラントが入らなければ基本的にO.K.です」との返事です。電話を受けている最中,感激のあまり体が熱くなって,ひたすら「ありがとうございます」をいっていたことしか覚えていません。
しかも,川崎のフェスティバルの初日という日程も生産計画とあったので,こちらとしても好都合です。とってもたのしみになりました。
ただ,不安もありました。話の中で「人間が手で押す」ということに関して話が食い違う感じがありました。アントという機械(あとで分かったのですが,貨車移動機=通称:アントというガソリンエンジンのついた機械で平常はやってい
るそうです)を使うらしく,確認のため雑誌をFAXしてほしいとのことでした。
3月22日に新木さんから電話があり,「確認したら,手押しはしてないようです。ご期待に添えないようなのですが」との返事でした。あの写真は,ぐうぜんのもののようでした(後ろの風景から,JR貨物がやっていたものと判明しました。つまり,昭和電工が作業していたものではなかったのです)。
ふつうのボクならここで,「残念です。仕方ありません」というのですが,どうしても実験したい気持ちが許さなく,5秒ほど考えて,「目的は,手押しなんです。動きそうにないものを動くかどうか実験したいんです。特別にお願いでき
ませんでしょうか」というと,なんと「では,現場の担当責任者に聞いてみてみます」という返事に,またまた「ありがとうございます」ばかりになりました。企業は,こういうことにはとても親切です。これからあとも,とても丁寧な対応
と細やかな配慮に感心しきりでした。
その日のうちにプラン作成者の板倉聖宣先生にも案内を送りました。
そして,3月24日です。
平素より大変お世話になっております。
標記の件ですが,下記の通りご連絡いたします。
1.日時 3月28日(火)14:30〜16:30
2.場所 弊社扇町本事務所
(総務部新木をお訪ねください。
川崎駅からの来場方法はFAXにてご連絡いたします。)
また,来場される先生方の人数と名前などの簡単なプロフィールを教えて頂ければと思います。
どうぞよろしくお願い申しあげます。
以上
以上のような電子メールと電話で「現場担当者から,O.K.の返事が出ました。こちらも,初めてのケースでどうしようかと思いましたが,せっかく岡山から来られるということですし,とてもおもしろそうなので,ご依頼を受けたいと思い
ます」という返事でした。「やったぁ,本当に20tの貨車を押せるかどうかの実験ができるぞー。うれしい」でもあと,4日後です。
すぐにボクは,予想を立てました。ボクは,「イ-4」でしたが,みなさんは,どう思いますか。予想を立ててみてください。
(予想) ア 人間では動かすことなどできない
イ-1 20人以上で動く
-2 10人ぐらいで動く
-3 5人ぐらいで動く
-4 3人ぐらいで動く
-5 1人で動く
◎アヤシイ撮影隊Part3出動!?
急いで,メンバーの決定,参加者のプロフィールの送付,電車の予約などすませました。板倉聖宣先生と尼崎のフェスティバルで1分の打ち合わせをし,川崎で落ち合うことになりました。小河さんと二人,ビデオ,カメラ撮影器具を携えて東京駅で待ち合わせました。
川崎市産業会館で待ち合わせ,板倉聖宣先生,荒井公毅さん,西条さん,小河さんとボクとの5人で午後2時に出発しました。ただ,雨と風が強く,「大丈夫かなぁ,でも,せっかくのチャンスだから強行してもらうことにしようよ」と小河さんと話していました。
タクシーの運転手さんが道を間違えて,10分遅れましたが,なんとか到着しました。何度も電話をしてやりとりをしていた新木さんにも会えました。後で聞けば,まだ入社3年目とのことですが,とてもしっかりしておられ,とてもそんな風に見えませんでした。最初に会社の概略を聞いた後(昭和電工は,もともとは化学肥料の「昭和肥料」とアルミニウム製錬の電気化学が主体の「長野電工」がいっしょになり,それが主な仕事だったのですが,現在は,化学薬品,化学製品が主流になっているそうです),すぐに現場の方へ移動しました。
用意してある貨車は,廃物である塩素を運ぶ貨車だそうです。重さが20トン(=2,0000kg)です。週に2回ほど,廃物処理をしているようです。すでに昭和電工の敷地内のレールの上に載っていました。現場責任者の方のあいさつも簡単に済ませ,すぐに始めます。
板倉聖宣先生が「最初に座標がない状態,かなり近寄って撮ってください。それから,遠景で撮っていくといいんです」とのこと。早速,工場の方6人に(普段は,1人で機械を使ってしているので)押してもらうようにお願いしました。
最初は,棒を使って動かされていました。どうも,2,3日レールの上に置いてある状態だと貨車の重さでレールと車輪が圧着されているようです。これもおもしろいと思ったのですが,押していくと本当に動きだしたのです。もう,浮かれ気分というかハイな状態になってビデオを撮っていました。
◎何人で動く?
いったん動きだすと,最初にあれほどふんばっていたのに,だんだん楽になるようです。押し続けると,貨車のスピードがじわじわと上がっていくのです。むしろ,今度は止めるのが大変でした。
そうなると,ボクたちは,どうしても自分たちでやってみたいと思うようになりました。それでお願いすると,O.K.が降りたので,まず西条さん,荒井さん,板倉先生の3人で押してみました。するとどうでしょう。しっかり動くではありませ
んか。「3人でも動くよ」とそれぞれの口から出てきます。
そこで「2人,2人でいきましょう」ということで,西条さん,荒井さんでやってみます。「せーの……動いた!」
「次1人でいきましょう」と西条さんが押します。さあ,どうでしょう。「せーの……………動いた。簡単に動く〜〜!やったあ」とおおはしゃぎ状態です。
すると,好奇心旺盛な「いたずら博士」こと板倉先生が,つかつかと貨車に寄ってきて実験しようとしています。とっても力を入れてふんばっています……すると,やがて動きだしました。この結果に間違いはないようです。西条さんも板倉先生もとても筋肉質とはいえません。ましてや板倉先生は,今年70歳になる方です。「ボクの押すときに出せる力は,20kg力ぐらいだから,2,0000kg力の20kg力ということは,…1/1000のまさつ係数ということになるね。レールというのは,すごい道具だね」という板倉先生のコメントでした。
これを見たら,ボクも押してみたくなりました。グッと押します。でも,これが「動く」という信念がなかったら,あきらめてしまいそうです。でも,「動くはずだ」という気持ちがあるので,あきらめずに押し続けると,じわーーっと動
きだしました。これは,見ているより実際にやってみる方がずっと楽しいです。
これから先もうこんな,予想をしての経験はできないでしょう。「こんなに重いものでも,一人で動かすことができることもあるんだ」こんな実験を最初にできたうれしさが,込み上げてくるのでした。
◎たのしい研究はどこまでも
そのあと工場見学をしまた。アルゴンや二酸化炭素や酸素や笑気ガスなどの入ったいろんなボンベがあって,板倉先生が「この写真もできれば撮らせてほしいのですが」ということでしたが,これはダメでした。《もしも原子が見えたなら》に使えると思ったのですが。その間,新木さんと話をしていたのですが,この会社はとてもゆったりした落ち着いた雰囲気をもつ会社だそうです。今回のこの実験も初めてのことでどう対応したらいいかわからなかったそうですが,それを許可してくれるとところなんて,心の広い会社です。ここまでの対応など,企業の姿勢として本当に感心することばかりでした。
新木さんも「こんなことができるなんて,貨車を人が1人で動かせるなんて思いませんでした。おもしろかったです」と言ってもらえて,こちらもうれしかったです。
最後に,事務所にもどって,板倉先生からこの実験の意味,授業プラン〈社会と人間を動かす力学〉の研究について話していただきました。そして,4時半になったので,帰ることになりました。
今回,このような実験が本当にできると思いませんでした。うまくいき過ぎて恐いくらいです。アイデアを出してくださった板倉聖宣先生,ヒントをくれた松田君,いっしょに行って下さった西条さん,荒井さん,連絡・調整をして下さった板倉研究室の田中由紀江さん,桑野裕司さん,ありがとうございました。そして,特に多大な実験協力をして下さった昭和電工さん,実際におして下さった現場の方々,総務課の新木さん,最後に最初からずっと情報提供・写真撮影をして下さり,研究意欲を盛り上げてくださった小河さんには,とても感謝しています。
たのしい研究には,いろんな人が協力してくださるものだと思いました。本当にやってみたい実験があれば,こうやってうまくいくこともあるんですね。しかも,きちんと予想していけば,とてもたのしいものになることを実感しました。これからも,たのしい研究を続けていきたいと思います。
■□■□佐藤重範★Satoh Shigenori in Okayama□■□■ (((JBE03565@nifty.ne.jp)))